150 years of hamada : ten

【 天 】
天の
恵みを醸す

焼酎に込められた自然と人と水の記憶

大正初め頃の市来湊町の街並図には、清水をふんだんに使う家業が道筋に20軒ほど並んでいます。豆腐屋、つけあげ屋、こんにゃく屋、紺屋、うどんそば屋、お酢屋、宿屋、銭湯、そして焼酎蔵。いずれも小高いシラス台地の崖線を背にした立地です。水道がまだ完備していない当時、湧水や伏流水や泉水に恵まれなければ成り立ちにくい生業が目立ちます。この周辺は照葉樹林帯が透水性のよい火山灰層の上にかぶさり、巨大な雨水濾過器となる地層を形成しているのです。水温17~18℃の潤沢な天然水のおかげで、地元の市来焼酎6社も明治前後から脈々と営まれてきました。
後年、濵田酒造が串木野の海辺に傳藏院蔵を新設する際、上水道のみならず、霊峰冠岳の伏流水を専用水源として確保したのも、清らかな水を原酒の割り水として活かすためでした。酒造業にとって、まさに水は生命線そのものなのです。
焼酎造りの工程では、多くの場面で水がカギを握ります。サツマイモの洗浄、蒸し、洗米、醪(もろみ)への加水や二次仕込み、発酵温度を抑えるための冷却水。発酵の進んだ醪を蒸留して気化させた後、ふたたび液化させる工程にも冷却水を使います。そして、焼酎の口当たりに影響を与える最後の決め手となるのが、かくばった原酒のアルコール度数をまろやかに下げる割り水です。このほか現場で用いるさまざまな装置や道具の洗浄、ボトリング用の瓶洗いにも大量の水が必要です。

濵田酒造本社がある旧・市来町は井戸を掘ると天然水に恵まれたことから、生産規模がまだ小さかった60年代の濵田酒造は、酒造用以外のサツマイモを利用したでんぷん製造に乗り出します。豊富な水脈を探り当てて大型ボイラーを設置。併せて焼酎造りの過程で生じる大量の熱湯を再利用した銭湯経営も行い、地域の人々に喜ばれました。やがて内風呂の普及が進み、また焼酎製造販売業への専念、水資源保護の観点から、それらの副業に終止符を打ちました。
こうした過度期の教訓を通じて、遠い昔に薩摩の火山活動がもたらした、自然豊かな鹿児島の土地柄を思い知らされます。一杯のまろやかな焼酎には、自然と人と水の記憶が込められていると言っても過言ではありません。