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金山蔵だより#40

失われた人形は5人の薩摩隼人によって蘇った

絶滅した垂水人形を復活させた男たち

2015/09/08

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垂水人形は、明るい色彩と美しく朗らかなムードを持った素朴な手づくりの土人形で、江戸時代から作られ始め、明治、大正、昭和と発展しました。三月の女の節句、五月の男の節句に飾られ、厄事災難を除いて出世開運を願い、子どもの健全な成長と幸運を願う人形として、広く庶民に愛されて来ました。農閑期の副業として栄え、その最盛期には20軒ぐらいの窯元があり、大隅一円ばかりでなく、遠く指宿の方まで行商に歩いたと言われています。その後、戦後から途絶えてしまった垂水人形を、中島さんら5人が研究会を作り、平成元年、1988年に復活させました。


男たちの夢で生き返った元禄の伝統工芸。

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粘土を型枠に入れて型を取り、10日間ほど陰干しし、その後700度の窯で素焼きした後、一つひとつ直接手で色付けしていく。その昔、朝鮮出兵した島津義弘が連れ帰って来た朝鮮人陶工が作ったと言う帖佐人形の影響を受け、元禄時代に始まったと言われる垂水人形。中島さんたちの努力で復活した後は、再び多くの人たちのオファーを受け、今では県の伝統的工芸品にも認定されています。垂水人形は町内の道の駅たるみずや、垂水ベイサイドホテルアゼレアなどで販売されるほか、いちき串木野市の薩摩藩英国留学生記念館などでも展示販売されています。

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垂水人形研究会長の中島さんは、40年あまり教育者として過ごした後、昭和62年に校長職を退職。仲のいい友人たち5人で、垂水人形研究会を結成。それぞれ絵を描くのが得意な人や、陶芸の経験者など、様々な特技を持つスタッフで始めましたが、現在では残った中島さん一人が制作を続けています。最初は、貴重な昔の人形が残っている家を訪ねて回り、型をとる仕事から始め、試行錯誤の末に復元した垂水人形。竹内宿禰や鯉抱き童子、浦島太郎、内裏雛、羽子板娘、まんじゅう喰い、鯛乗り童子など、人気が高い定番の数々を一人でコツコツと作り続けています。

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写真左/毎年8月になると、中島さんは来年の干支を作り始めます。一体絵付けするのに丸1日かかる垂水人形、最近は愛好家からの注文も多く、年末までには大小170個ほどを制作する予定だそうです。写真右/独特のカラフルな色彩と素朴な雰囲気は、土人形ならではのもの。中島さん曰く「目の描き方で人形の善し悪しが決まる」そうで、絵付けには一切の油断も許されません。

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毎年、三月と五月に自宅の玄関まで担いで売りに来た垂水人形の行商たち。幼心に染み付いている懐かしいシーンを再現するために、人生の第2章を垂水人形の復活と興隆に捧げた中島さん。校長先生から、一介の人形職人へ。現代の心優しき薩摩隼人の勇気と、夢に懸ける熱い思いがなかったら、今ごろは無くなってしまう運命だった貴重な伝統工芸、垂水人形。来年の干支は猿、中島さんが丹誠を込めた猿の垂水人形に守られる多くの家の子どもたちの未来を思いながら、今宵は男の浪漫を体現した中島さんに乾杯しませんか? ありがとう! 人形職人になった校長先生。


Information

垂水人形研究会

鹿児島県垂水市錦江町1-113

TEL:0994-32-1572

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