渡り廊下
樽
列車
麹

かつて薩摩藩の栄華を支え続けた、串木野金山。
その跡地に「継承の蔵・薩摩金山蔵」はある。
350年余り掘り続けられた、
総延長120km に及ぶ坑洞内は、年間を通して
気温や湿度が一定で、貯蔵・熟成にもってこいだ。
天からの授かり物であり、また、歴史からの授かり物。

そして、霊峰「冠嶽」の伏流水。
それを私たちは守り続けてきた。


この蔵での焼酎づくりでは、幻と言われる独自の
「黄金麹」を用いた製法も行われている。
すべては、継承の先に生まれたに過ぎない、
ともいえる。
だが、その積み重ねこそが「唯一無二」の

味わいをもたらす。
この地域・文化の物語への共感から生まれた蔵。
国内のみならず、海外の人々をも魅了していく酒。
原料や製法を継承しながらも、
深化させ、磨き上げることで。


20年目の金山蔵は、
継承の力で未来へ、
そして世界へ挑みます。

Company Statement

Message

光太郎さん

代表取締役社長

濵田 光太郎

私たちのミッションは、”日本の生んだ蒸留酒”である、本格焼酎の可能性を追求することです。
串木野金山は、天からの授かりもの、歴史からの授かりものです。
かつて薩摩藩の栄華を支え、日本の近代化の礎となった場所。
いちき串木野の街に活気をもたらし、今日まで地域の歴史と文化を紡いできたなくてはならない場所。
ここを訪れた人が皆、金山坑洞の壮大な空間に感嘆の声をあげる。
そのような地域の財産である串木野金山との運命的な出会いから20 年。
私たちは、薩摩の精神と文化を継承した「ここでしかできない焼酎づくり」に邁進していきます。
新たな本格焼酎の価値を未来へ、そして世界へ届けてまいります。

私たちのミッションは、”日本の生んだ蒸留酒”である、本格焼酎の可能性を
追求することです。
串木野金山は、天からの授かりもの、歴史からの授かりものです。
かつて薩摩藩の栄華を支え、日本の近代化の礎となった場所。
いちき串木野の街に活気をもたらし、今日まで地域の歴史と文化を紡いできた
なくてはならない場所。
ここを訪れた人が皆、金山坑洞の壮大な空間に感嘆の声をあげる。
そのような地域の財産である串木野金山との運命的な出会いから20 年。
私たちは、薩摩の精神と文化を継承した「ここでしかできない焼酎づくり」に
邁進していきます。
新たな本格焼酎の価値を未来へ、そして世界に向けて発信し続けてまいります。

私たちのミッションは、”日本の生んだ蒸留酒”
である、本格焼酎の可能性を追求することです。
串木野金山は、天からの授かりもの、
歴史からの授かりものです。
かつて薩摩藩の栄華を支え、日本の近代化の
礎となった場所。
いちき串木野の街に活気をもたらし、今日まで地域の歴史と文化を紡いできたなくてはならない場所。
ここを訪れた人が皆、金山坑洞の壮大な空間に
感嘆の声をあげる。
そのような地域の財産である串木野金山との
運命的な出会いから20 年。

私たちは、薩摩の精神と文化を継承した
「ここでしかできない焼酎づくり」に
邁進していきます。
新たな本格焼酎の価値を未来へ、
そして世界に向けて発信し続けてまいります。

History

かつて薩摩藩を、明治維新を支えた場所で。

    「唯一無二」の本格芋焼酎が育まれていく。

温暖な地で、清酒に負けない酒をつくりたい。
日本の蒸留酒「本格焼酎」を生み出した
薩摩人の情熱と技を継承し、薩摩藩を、明治維新を支えた
串木野金山を継承して生まれたのが、「薩摩金山蔵」です。
しかし、その焼酎づくりは、ただの「継承」ではありません。
幻と呼ばれた「黄金麹」の復活による独自の焼酎づくり。
世界で唯一の、金山の坑洞内での貯蔵。
それが、継承の先に生まれた唯一無二です。

温暖な地で、清酒に負けない酒をつくりたい。
日本の蒸留酒「本格焼酎」を生み出した薩摩人の情熱と技を継承し、薩摩藩を、
明治維新を支えた串木野金山を継承して生まれたのが、「薩摩金山蔵」です。
しかし、その焼酎づくりは、ただの「継承」ではありません。
幻と呼ばれた「黄金麹」の復活による独自の焼酎づくり。
世界で唯一の、金山の坑洞内での貯蔵。
それが、継承の先に生まれた唯一無二です。

温暖な地で、清酒に負けない酒をつくりたい。
日本の蒸留酒「本格焼酎」を生み出した
薩摩人の情熱と技を継承し、薩摩藩を、明治維新を
支えた串木野金山を継承して生まれたのが、
「薩摩金山蔵」です。
しかし、その焼酎づくりは、
ただの「継承」ではありません。
幻と呼ばれた「黄金麹」の復活による
独自の焼酎づくり。
世界で唯一の、金山の坑洞内での貯蔵。
それが、継承の先に生まれた唯一無二です。

かつて薩摩藩を、明治維新を支えた場所で。「唯一無二」の本格芋焼酎が育まれていく。

その場所に歴史あり。

17世紀半ば。島津光久公が薩摩藩の二代目藩主であった時代に、
その鉱脈は見出されました。最盛期には約7,000人もの男たちが
採掘に従事し、大正時代には金の産出量が日本一を誇った「串木野金山」。
江戸時代には薩摩藩の財政を大きく支え、明治維新の原動力となったとも
言われています。それから長い歳月を経て、この場所で焼酎づくりが
はじまりました。
(写真提供:三井串木野鉱山株式会社)

17世紀半ば。島津光久公が薩摩藩の二代目藩主であった時代に、
その鉱脈は見出されました。最盛期には約7,000人もの男たちが採掘に従事し、大正時代には金の産出量が日本一を誇った「串木野金山」。
江戸時代には薩摩藩の財政を大きく支え、明治維新の
原動力となったとも言われています。
それから長い歳月を経て、この場所で焼酎づくりがはじまりました。
(写真提供:三井串木野鉱山株式会社)

17世紀半ば。島津光久公が薩摩藩の二代目藩主であった時代に、その鉱脈は見出されました。
最盛期には約7,000人もの男たちが採掘に従事し、
大正時代には金の産出量が
日本一を誇った「串木野金山」。
江戸時代には薩摩藩の財政を大きく支え、明治維新の原動力となったとも言われています。
それから長い歳月を経て、この場所で焼酎づくりが
はじまりました。
(写真提供:三井串木野鉱山株式会社)

その場所に歴史あり。

坑洞と貯蔵空間。

350余年にわたり、掘り進められた金山。
その2番坑につくられたスペースに丹精込めて造られた
焼酎たちが眠ります。
金山の全長は120キロメートルにも及ぶといいます。
16層に分かれ、その高低差は約400メートル。
しかし、今ではその大半は水に沈んでいます。

350余年にわたり、掘り進められた金山。
その2番坑につくられたスペースに丹精込めて造られた焼酎たちが眠ります。
金山の全長は120キロメートルにも及ぶといいます。
16層に分かれ、その高低差は約400メートル。
しかし、今ではその大半は水に沈んでいます。

350余年にわたり、掘り進められた金山。
その2番坑につくられたスペースに
丹精込めて造られた焼酎たちが眠ります。
金山の全長は120キロメートルにも及ぶといいます。
16層に分かれ、その高低差は約400メートル。
しかし、今ではその大半は水に沈んでいます。

坑洞と貯蔵空間。

1546年

ポルトガル商人ジョルジェ・アルバレスからフランシスコ・ザビエルへの「日本報告」に、米から造るオラーカ(orraqua)を飲んでいるとの記録。

出典:岸野久『西欧人の日本発見−ザビエル来日前日本情報の研究−』吉川弘文館 1989年

1559年

鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社の棟木札への大工の落書き「焼酎もおごってくれないケチな施主だ」が国内最古の「焼酎」文字資料。

1658年

川内の行商人・新原喜左衛門が串木野に金の鉱床を見つけ、採掘がはじまる。

1660年

三代藩主 島津綱貴の時代に、金山は大変栄え、7,000人もの労働者がいた。

1911年

台湾総督府中央研究所に赴任していた東京帝大出身、中沢亮治技師が泡盛黒麹菌の黒い胞子が白色へと自然変異する過程で黄金色の菌株を分離。

1919年

串木野鉱山、産金量で日本一の記録を達成。(〜1923年)

1943年

太平洋戦争のため休山。

1949年

操業を再開。

1964年

現在の三井串木野鉱山株式会社として独立。

1997年

金山の採掘を終了、休鉱山となる。

2005年

薩摩金山蔵 創業。金山坑洞内を焼酎の貯蔵庫として利用開始。

2012年

薩摩で唯一の清酒として「薩州正宗 純米酒」 「薩州正宗 純米吟醸酒」を発売。

2015年

「薩摩焼酎 金山蔵」を発売。

2017年

「薩摩焼酎 金山蔵 RED」を発売。

2023年

世界三大酒類コンペティションの一つ、イギリスのインターナショナル・スピリッツ・コンペティション(ISC)にて、
「薩摩焼酎 金山蔵」が金賞。

2023年

世界三大酒類コンペティションの一つ、アメリカのサンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション(SFWSC)にて、「薩摩焼酎 金山蔵」がWゴールド受賞。

2023年

来場者数が延べ150万人を突破。

2025年

九州・沖縄エリアの「元気印」企業として選出。
※東京商工リサーチ福岡支店が2023 年度調査に基づき、業績の成長率や売上高を基準に選出。

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