今回の蔵だよりでは、芋焼酎と島津斉彬公の意外な関係についてご紹介いたします。幕末きっての名君と名高い薩摩藩主、島津斉彬公は、嘉永4年(1851年)に第11代薩摩藩主へ就任すると薩摩藩の富国強兵を政策に掲げ尽力し、成功した人物です。日本が本格的な混乱期に突入する前に、斉彬公はこの世を去ってしまいましたが、視野の広さと先進性は藩主のなかでは他に並ぶ者がいないと言われる程、飛び抜けていたそうです。
島津斉彬公の銅像
斉彬公はこのような先見の明を持っていたため、幕末の時代にいち早く西欧列強のアジア進出に危機感を抱いていたそうです。そして、西欧に対抗するために軍備の近代化を行うことを決心しました。それまで日本で使われていた武器は主に火縄銃で、当時はまだ軍艦などもありませんでした。そこで斉彬公は、雨天でも発泡できる雷汞(らいこう)という砲弾や軍艦を製造できるよう、製鉄など機械工業の操業を始めました。これが日本最初の洋式産業群『集成館事業』です。
尚古集成館
軍備の近代化と芋焼酎
これまでのストーリーと焼酎に一体何の関係が?と思うかもしれませんが、実は非常に深い関係があるのです。前述した軍備の近代化には大量のエチルアルコールが必要です。エチルアルコールは米焼酎を蒸留する過程で得られるのですが、米を使うと非常に高いコストがかかってしまい、庶民が食べる分も不足してしまいます。そこで斉彬公が思いついたのが、安価で大量に生産できる穀物であるサツマイモを使って芋焼酎を製造し、エチルアルコールを量産しようということでした。芋焼酎の原料となるサツマイモは、稲作に適さないと言われた鹿児島のシラス台地でもよく育つ作物であり、当時の薩摩藩では最も手に入りやすい作物の1つだったのです。
斉彬公はこの芋焼酎を軍備用として活用していきますが、やがて飲料用としても利用できるように製造方法の改良を命じます。そして、この斉彬公の命をきっかけに、芋焼酎が飲料用として薩摩から全国各地へ広まっていったのです。聡明で先見の明に優れていたと言われる斉彬公ですが、長い時を経てここまで「芋焼酎」が愛され続けるということは夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
【本格芋焼酎】伝&宇吉のご紹介
こうして芋焼酎が薩摩の特産品になるまでのストーリーを追ってみると、芋焼酎の歴史は薩摩の歴史であることを実感します。そして、濵田酒造でもこのような歴史を背景に、明治元年から150年以上にわたり芋焼酎の製造を行って参りました。中でも、明治時代から受け継がれる伝統の技が今もなお息づいている「伝兵衛蔵」では、木桶蒸留・甕仕込みを行い丹精込めて焼酎を造っています。今回は、その伝兵衛蔵から本格焼酎「伝」と「宇吉」のセットをご紹介いたします。
【伝 1800ml 25度】鹿児島県産の黄金千貫芋を黄麹で仕込みました。甕仕込み・木桶蒸留・甕貯蔵の伝統製法にこだわった本格芋焼酎です。柔らかな飲み口と、洗練された潤いのある後口が楽しめます。研ぎ澄まされた焼酎を五感でお楽しみ下さい。
【宇吉 1800ml 25度】鹿児島県産の黄金千貫芋を、黒麹で仕込みました。甕仕込み・木桶蒸留・甕貯蔵の伝統製法で作られた本格焼酎です。黒麹が醸すコクのある風味と、上品で弾力のあるとろみが楽しめます。
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