秋の到来。待ちに待った収穫のシーズンです。私たちの焼酎づくりの魂でもあるサツマイモ『黄金千貫』の収穫もはじまっています。鹿児島のサツマイモの生産量は、全国の約4割を誇り、本格焼酎の消費量は全国一。サツマイモがなければ我々の芋焼酎づくりも、夜の一杯もはじまらないのです。でも、その原点はいったい何処にあるのでしょうか? 今回は、鹿児島にサツマイモが伝えられたある伝説についてふれてみたいと思います。
謎多き『前田利右衛門』の功績。
鹿児島で芋焼酎づくりが浸透したのは、サツマイモがたくさん穫れたから。しかし、そのサツマイモはいったいどこからやってきたのか? サツマイモの伝来には諸説あるのですが、最も有力なのが山川出身の『前田利右衛門』なる人物が江戸時代に琉球から持ち帰ったという説です。指宿市山川は現在もサツマイモの産地であり、私たちの本格焼酎づくりにも欠かせない場所です。この地にひっそりと佇む徳光神社(とっこうじんじゃ)には、いまも『前田利右衛門』が祀られています。
彼は水夫として琉球に渡った際、琉球の人々が条件の悪い土地で育てていたイモを見つけ、郷里へ持ち帰ることを閃いたのです。これがサツマイモのはじまりです。『利右衛門』は工夫を重ねて栽培方法を確立し、種芋や苗を周辺の農民に配ったのだそう。当時、開聞岳の噴火や台風の襲来で土地が痩せていた山川。それでも育ったサツマイモは理想の食品でした。彼は、江戸時代に幾度となく訪れた大飢饉によって、飢餓に苦しむ人々を救った農業功労者となりました。
後に『前田利右衛門』は琉球に渡る際、遭難して死亡したとされていますが、いつ死んだのかも諸説あり、出生についてはさらにはっきりしない謎多き人物です。一説にはおよそ、1683年(天和3年)に生まれ、1707年(宝永4年)に24歳で早世したという話もあります。『前田利右衛門』の供養のため、山川郷岡児ヶ水の村人が持ち寄ったお金で供養堂を建てたのが現在の徳光神社です。この辺りには、彼の業績を称える碑があちらこちらに建てられています。
メキシコを原産とするサツマイモ。遠く遥かな旅を経て沖縄へ。そして、鹿児島に伝わって来たわけです。今こうして私たちが芋焼酎をつくれるのは『前田利右衛門』のおかげなのです。かつて「芋焼酎は大衆の酒」と言われていましたが、現在は芋焼酎にも”銘酒”と呼ばれるものが数多く存在しています。杜氏にとってそれはとても名誉なこと。けれども、その原点はこうした一平民の”人々を想う”努力から生まれました。だからこそ、私たちもより多くのお客さまに愛される芋焼酎をつくり続けていきたいと思います。今夜は『前田利右衛門』に乾杯!