新年、明けましておめでとうございます。伝兵蔵では、年始からさっそく本格焼酎づくりに精をだしております。そして、新年最初の伝兵衛蔵だよりは、初心に返る気持ちで、弊社代表である五代目・濵田伝兵衛に”濵田酒造が目指す酒づくりについて話を聞いてみました。新年のお神酒も本格焼酎。市来の郷土料理「のれんいも」を食べるのが習わしという濵田家。その本格焼酎づくりにはいったいどんな物語があったのでしょう?
日本の蒸留酒として、世界に冠たる酒を。
明治元年(1868年)。いまから約140年以上も昔のこと。時代は、西郷隆盛がまだ生きていた頃の話です。宿場町として栄えていた市来で、油屋や質屋などの商いをしていた初代・濵田伝兵衛。そうした商売の中、家内工業としていた焼酎づくりが近所で評判となり製造販売することになったというのが濵田酒造の起源なのだそう。
その後、二代目・伝兵衛は、焼酎販売に特化。濵田酒造の焼酎づくりを盛り上げました。三代目・伝兵衛は、終戦の日、焼酎の振舞いを行ったのだそう。現在ある市来の伝兵衛蔵から、国道沿いに沢山の行列が隣町まで続いたという逸話もあるのだとか。そして、四代目・伝兵衛は家業の焼酎屋を引き継ぐも、地域の立て直しとして、政治の道に力を注いだのだとか。
そしていま、五代目・伝兵衛が薩摩の先人たちから引き継いだ伝統的な技と技術で、濵田の本格焼酎をつくり続けています。「さつま芋は鹿児島県産、米麹も国産米を使用。原材料にこだわり、元気と勇気、やる気をもって行う本格焼酎づくり。日本の蒸留酒としての世界に冠たる酒を目指したい」と話してくれた五代目。また、目的を共にした仲間たちと真剣な目標を持ち進めてきたから今日があるとも…。そこには、明治元年創業の濵田酒造のスピリットがいまなお脈々と受け継がれていました。