鹿児島の秋の伝統行事、「妙円寺詣り」。鹿児島の三大行事とも言われています。
甲冑に身と固めた鎧武者が行列をつくり、毎年旧暦9月14日に妙円寺(現徳重神社)まで約20kmの工程を歩きます。商店街を通り、参拝する姿はまるでタイムスリップしたかのよう。
義弘公、敵陣突破
徳重神社の様子。妙円寺詣りが近づくと西軍・東軍の旗が並びます。
時は1600年。関ヶ原の戦いの折、薩摩の名君島津義弘は、西軍石田光成と共に東軍徳川家康との戦いが始まります。しかし、僅か千名の兵力を持って苦戦苦闘。劣勢に立たされた50余騎は、敵に背中を見せるのを潔しとせず、敵の大群の真只中に突入し血路を開いて敵の背後に抜け、苦難の山坂道を分け薩摩に引き上げました。
義弘公は島津17代の藩主で武術だけでなく、医術や茶の湯にも秀でた才能を持つ文化人。また、家族思いで敵に対しても情け深い、まさに名君でした。晩年は、大隅の加治木で余生を過ごし、また若者たちの教育にも力を注ぎ、関ヶ原の合戦から19年後85歳にて死去。当時の妙円寺、現在の徳重神社に祀られました。
妙円寺詣りは、鹿児島の城下侍達が義弘公の遺徳を慕い、関ヶ原の苦闘を偲び、また心身鍛錬の行事として行われることとなりました。
私たち薩洲濵田屋伝兵衛では、この妙円寺詣りに「市来郷 猶興舎」として毎年参加しています。
去る9月24日、伝兵衛蔵では結隊式が行われました。今年の妙円寺詣りに向けて皆が一丸となります。また、当いちき串木野の留学生たちも加わり、より一層活力が増します。
このような、伝統文化が地域で継承されて続けているのは、ここ鹿児島に根付いた郷中教育が受け継がれているからかもしれません。