明治の頃より串木野の漁師たちは、10トン位の帆船に乗って、長崎県五島、玉之浦、富江港を基地として、サバ釣りやカジキ、マグロの延縄漁を操業。港の料理屋で唄われていた『五島さのさ』に郷里串木野への思いを託し、いつか『串木野さのさ』が生まれました。やがて大正時代半ばには、船はエンジン式の機帆船となり、漁師たちは串木野港に帰港。その頃から、串木野さのさは広く歌い継がれ、やがて踊りが振り付けられて、さのさ踊りが生まれ現在に至るまで、広く愛され続けることになります。
2000人の踊り手たちが町を流すさのさ祭り。
「百万の敵に卑怯はとらねども、串木野港の別れには、思わず知らず胸せまり、男涙をついほろり サノサ」。「夕空の月星ながめてただ1人、あの星あたりが主の船、とびたつほどに思えども、海をへだててままならぬ サノサ」。さのさ踊りの歌詞が綴られたお揃いの手拭を頭や襟元にあしらった踊り手たちが一斉に串木野の町中を流す、祭りのメイン「さのさ踊り市中流し」は、市内の職場や団体などから約2000人の踊り手が繰り出し、多くの見物客で賑わいます。
市政施行10周年記念の特別な前夜祭
写真左/商店街の通りには、昼間から様々な夜店が立ち並び、濵田酒造グループからも海童や冷たい飲み物を用意したブースを出店しました。写真右/中でも人気だったのは、伝兵衛ビール(地ビール)、伝兵衛黒ビール、伝兵衛完熟梅発泡酒のクラフトビール3種でした。
写真左/今回の第45回さのさ祭りはいちき串木野市市制施行10周年を記念して、市来地域の歴史あるお祭りが一堂に会しました。市来湊祇園祭り、川上踊り、市来七夕踊り、大里虫追い踊りが、さのさ祭り前夜祭の会場で繰り広げられた前夜祭は必見。写真右/ロータリーで繰り広げられた地元高校生たちのバンド・バトルも前夜祭の熱気をさらにヒートアップさせていました。
写真左/次々に繰り広げられるステージイベントは、真夏のダンス王決定戦など盛り沢山。一心不乱にダンスを応援する人たち、熱演するダンサーたちの鼓動が1つになります。写真右/鹿児島県産の黒牛や地鶏、フランクフルトやお好み焼き、いろいろなB級グルメなどの夜店も、昼間からたくさん並びました。
写真左/いちき串木野市の観光のシンボルとなるPRレディー認定式も注目の的。市を代表する皆さん、今年1年よろしくお願いします。写真右/地元の名産品であるさつま揚げを振る舞う蒲鉾メーカーの方や、走り回る子どもたち、浴衣でお洒落した女子たち…。明日の本祭に向けて、町が少しずつ熱くなって行きます。
2000人のさのさ踊り市中流しで本祭はピークに
写真左/午後6時スタートの市中流し踊りに向けて、着々と各連が準備を進めて行く中、交差点の入口から鳴り響いたバグパイプの調べ。スコットランドの伝統的衣装に身を包んだ彼らは、薩摩藩英国留学生記念館一周年記念のために駆けつけた長崎バグパイプ協会の方たち。さのさ祭りのための特別出演でした。写真右/職場や団体の連は、それぞれお揃いの浴衣やハッピでドレスアップ。濵田酒造グループは、白地に赤く海童の文字が鮮やかに映える浴衣に、青空の色の帯で爽やかにキメました。
写真左/クラシックバレエ教室の女のコたちは、バレエ衣装で踊って、沿道の注目を独占。さのさ踊りを華麗なステップに変えた小さなプリマドンナたちに拍手が鳴り止みませんでした。写真右/次から次に繰り出す、趣向を凝らした衣装と山車や神輿。気合いの入った踊り、審査委員長は、一瞬たりとも目が離せません。
写真左/短い休憩の間にはふるまい焼酎で喉を潤しながら、さのさ祭りはピークに向けて、踊りの熱をどんどん上昇させます。写真右/銀行や信用金庫、婦人会、保存会、さつま揚げやハムなどの食品メーカー、ジャズダンススタジオやバレエ教室、国家石油備蓄基地、市役所有志など、集まった連の総数は約2000人。交差し、連なりながら市中を流して行きます。
写真左/連の見所は息の合った振付けや衣装のほかにも、各自が工夫した神輿やリヤカーを利用した山車などにも注目です。写真右/祭りのクライマックス、さのさの象徴ドリームキャノピー下の本部で、審査員たちに巨大な海童神輿から焼酎を注ぐパフォーマンスも市民たちに大受けでした。
嵐などの気象情報を知るために、晴雨計(気圧計)と長年の勘だけが頼りだった明治時代。小さな帆船は、五島灘で遭難することも多かったそうです。そんな中、覚悟を秘めて涙ながらに串木野港を出る男たち。沖へ出ても、いつも忘れられない故郷串木野。その切なさが歌詞となって、賑やかな「五島さのさ」から、哀調を帯びた「串木野さのさ」に変わっていった歴史。そんなエピソードを思いながら飲む本格焼酎の味わいは格別です。さのさ祭りが終わった次の日からは、次のさのさ祭りに向けて、いちき串木野の人たちは静かに熱く踊り始めます。