濵田酒造の歴史は、江戸時代。参勤交代の第一宿場町として栄えた市来の地で営んでいた油屋から始まります。当時としては珍しく、市来にはお米が集まる場所でした。また、海・山・川に囲まれた自然豊かな土地で、美味しい地下水とさつまいもがあり自然と焼酎造りが盛んになったと考えられています。
今も当いちき串木野市には、8つの蔵があり、「本格焼酎で乾杯条例」など、市民一体となり焼酎を楽しんでいる姿が見られます。
※夏の風物詩「さのさ祭り」の様子。古くから漁師が歌いつがれてきた民謡「串木野さのさ」の調べに乗って踊り連が市中を練り歩く。本格焼酎の振舞いもあり、県下3大流し踊りの1つ
始まりは、日本の夜明けと同じ
そんな市来の地で、明治元年、初代濵田伝兵衛が家業の1つである焼酎造りを事業として始めました。明治維新とともに始まった、焼酎造り。どのような時代だったのでしょうか。
江戸末期に、強国であった清国がアヘン戦争でイギリスに敗北したことは、日本にも衝撃を与えました。薩摩藩は日本の南端に位置し、これと前後して外国船が日本近海に頻発する事態にも危機感を抱いていました。これらの脅威に対抗できる力をつけようといち早く近代化に乗り出したのが薩摩藩。いちき串木野市からも鎖国という国禁を犯して、羽島の地から、19人の藩士たちがイギリスへと旅立ち、留学生らの多くは、帰国後日本の近代化へ貢献しました。
日本の夜明けとも例えられる、明治維新。濵田酒造もそんな時代に始まり、伝統の味を守りながらも常に新しい焼酎の可能性を追求し、焼酎文化を今日まで継承してきました。
この150年を支えてくださった皆様に感謝し、これからも焼酎造りに邁進してまいります。
7月2日に150年スペシャルサイトをオープンしました。濵田酒造グループ代表濵田雄一郎と歴史家の原口泉氏との対談など盛りだくさんの内容となっています。随時情報を更新予定ですので、お楽しみに。