
なぜ私たちは金山蔵をつくったのか

鹿児島・薩摩地方は、本格焼酎発祥の地。その歴史は500年を超え、今もなお人々の暮らしに寄り添い続けています。濵田酒造は、明治元年の創業以来、150年以上にわたり、薩摩の焼酎と向き合ってきました。しかし、焼酎の魅力、そして薩摩の歴史と文化を、本当に語り尽くせているのだろうか。そんな想いから、かつて薩摩藩を支えた串木野金山の地に、未来へとつなぐ拠点「金山蔵」を築きました。

串木野金山に作ったわけとは
蔵の立地として選ばれたのは、江戸時代から薩摩藩や地域の経済を支えてきた「串木野金山」の跡地。
かつては観光施設「ゴールドパーク串木野」として地元でも親しまれていたこの場所を、歴史と文化を伝える場として受け継ぎました。
とはいえ、金山や観光施設の運営はまったくの素人。広報のノウハウもなく、すべてが手探りでした。一時は「杜氏乃湯」という焼酎粕を使った温浴施設にも挑戦しましたが、採算が取れず断念。人の背丈ほどの大甕を坑道に運び込む作業も大変な苦労でした。こうした積み重ねが、今の金山蔵を作り上げています。
焼酎文化を「継承」する蔵のこれから
金山蔵のテーマは「継承」。伝統の製法を守りながらも、未来を見据えた取り組みも積極的に行っています。かつて金採掘に使われていた坑道を、焼酎の貯蔵蔵として再活用。年間を通して気温と湿度が安定しており、熟成に最適な環境になっています。また、見学や試飲体験を通して、訪れる人々に焼酎の魅力や、金山としての歴史を肌で感じてもらえるような取り組みもしています。
金山蔵では、焼酎づくりを軸に、地域の文化や自然との関係も含めた「未来への継承」にも力を入れています。
Information
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