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kinzangura dayori 金山蔵だより

2020/03/25

金山蔵だより # 98

武士が生きた町「麓」を感じる

開業15周年の薩摩金山私学校は学び、歩く

2020年2月22日(土)に薩摩金山蔵が毎年開催している薩摩金山私学校が開催されました。「鹿児島の自然・歴史・文化・産業を見直し、薩摩の精神を伝承していく」ことを理念とし、2006 年(平成18 年)に建学。薩摩金山蔵が開業15周年を迎える今年の講義は、まち歩きを中心に活動されている「かごしま探検の会」 代表理事の東川隆太郎先生を講師に迎え、「実は、見た目よりも奥深い!僕的(ぼくてき) 串木野麓あるき」というテーマで、昨年日本遺産に認定された串木野麓地区について座学の後、フィールドワークを行いました。

鹿児島県には、2019年に日本遺産に認定された幾つかの麓があり、そのひとつが島津家久の居城である「串木野城」です。今年生誕450年を迎える、その息子豊久(島津義弘の甥)が生まれた場所として、今後整備予定の串木野麓や、山城としての鹿児島城の歴史や特徴について触れ、午後からのフィールドワークの下知識を東川先生の軽妙なトークと共に学びました。参加された約50名の受講生は、普段住んでいる鹿児島の歴史について学びを深めようと、熱心にメモをとりながら先生の講話に耳を傾けていました。


(金山蔵ホールでの講演)

午後は、いよいよ歴史に触れる時間、串木野麓のフィールドワークのスタートです。バスに乗ること10分弱で、串木野麓周辺に到着。かつての串木野城の麓に広がる武士の居住地域を探索しました。串木野郷は、薩摩藩の外城のひとつで、本藩の直轄領でもありました。地頭は串木野郷の最高責任者ですが、当地に在籍することはなく、掛持地頭として鹿児島城下などに通常は居住して、年に数回、地頭仮屋を訪れ、その際の宿泊や政務を執る場所でした。

(串木野麓案内板の前で当時の歴史話に熱心に聞き入る参加者)

(地頭仮屋跡の石塀)

そして、いよいよ串木野城跡地へ。亀ケ城としても知られ、標高約30メートルを最高点とするシラス台地を利用した山城です。最初の城主は、薩摩平氏の串木野忠道とされ、後に島津貞久の勢力下に入りました。その後、様々な勢力による群雄割拠の地になりますが、元亀元(1570)年に島津本宗家15代貴久の四男である家久が、地頭として入城します。その年に息子の豊久が誕生し、天正(1579)年に佐土原(現在の宮崎市)に移るまで、この地を拠点としました。参加者達は、当時の様子を想像しながら広大な串木野城周辺を歩きました。

(この場所に城があったことに思いを馳せる参加者)

(大きな城があったことを思わせる城跡の一部)

(島津義弘が朝鮮出兵前に航海祈願に来社したといわれる南方神社)

終盤に訪れた「石管水道」は、かつて麓の地下1メートルのところに埋没されていたものです。設置年代は、幕末から明治初期とされており、鹿児島城下以外で石管水道が確認されるのは珍しいとのこと。水道の長さは約110メートルあり、良質の井戸から麓地区まで伸びています。石材加工には、串木野金山に関係する技術集団が関わったとされています。

(当時の技術の高さがわかる石管水道)

今回、東川先生のわかりやすいご説明のおかげで、日本遺産に認定された串木野麓への理解を深めることができた第85回の薩摩金山私学校。参加された方々から以下のような嬉しいご感想をいただきましたので一部ご紹介いたします。

「今回全く知らなかったことだらけ。風の音に混じって300 年前に暮らした先人達の息づかいが聞こえてくるような価値ある一日でしたから」

「先生の解説、歴史上の出来事と麓が結び付きました」

「地元の歴史が意外と身近に感じられて面白かった」

「学校教育、家庭教育、社会教育とは違う故郷教育とも言える場が薩摩金山私学校だと思います」

「日本遺産認定を機に地域の歴史の史跡を見直すのは有意義な事だと思います。地域(特に故郷)の暮らし方を知れば地域の見方や愛着の度合が変わってきます。このような取り組みは大事だと思います」など。

「地元の歴史を学ぶ」ことで、普段何気なく眺めていた場所が、いつもとは違う景色に見えてくることが面白さのひとつだと思います。今年は、島津家久の入城、また漫画やアニメで大人気の息子豊久が生まれて450年という記念すべき年です。歴史の面影をいちき串木野で感じてみてはいかがでしょうか。


Information

いちき串木野の日本遺産認定場所についてはこちら

島津義弘公を祀る薩摩開運神社のある「薩摩金山蔵」はこちら

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