日本の政治家たちがたまに使う「為政清明」という言葉をご存知ですか? あの『大久保利通』が座右の銘にしていたそうで「政治は清く明瞭であるべきだ」という意味なのだそう。『大久保利通』は、西郷隆盛や木戸孝允と共に倒幕、維新に尽力し「維新の三傑」と讃えられている人物です。でも意外とその人物像を知らない人も多いのでは?
寡黙で子分を持たない孤高の政治家
鹿児島市の加治屋町で育った『大久保利通』。加治屋町は、島津家の下級武士が住む町で西郷隆盛や東郷平八郎なども加治屋町の出身です。『大久保利通』は胃弱だったため、幼少時から学問や読書に打ち込みました。忍耐強い性格は、貧しい家で育ったことも影響していたのかもしれません。
カリスマの西郷さん、裏方の大久保さんなしに明治維新はありえませんでした。明治維新後は、参議に就任。版籍奉還や廃藩置県などを行い、中央集権体制を確立すべく豪腕を振います。後に盟友だった西郷さんとは、征韓論で対立。西郷さんを失脚させることで、初代内務卿に就任しました。西郷さんと対立したのは両者が日本の未来を考えた結果であり、生涯二人は堅い友情で結ばれていたそうです。近所に建つ彼らの石碑がそれを物語っていますね!
Information
大久保利通銅像
鹿児島市西千石町
大久保利通生い立ちの地
鹿児島市加治屋町