どこまでも続く長い坑洞。その先に眠る薩摩の歴史とは?
トロッコに揺られて、いざ薩摩の歴史探訪へ!
鹿児島県は金の産出量が日本一! 串木野金山は350年前、薩摩藩の島津光久公の時代に鉱脈が発見されて以降、ひと頃は日本一の産金量を誇る薩摩藩の貴重な財源だったんですよ。『金山蔵』は、総延長120kmにも及ぶ串木野金山の坑洞で焼酎を製造・貯蔵しています。明治維新の原動力となったこの場所は、まさに薩摩の歴史そのもの。
『金山蔵』は、金採掘の歴史と昔ながらの焼酎造りが同時に見学できます。なぜ坑洞で焼酎を造るのかって?実は、坑洞内は年間を通して気温が20℃前後と、やや高めながら湿度が一定していて、焼酎の大敵・紫外線もゼロ。つまり、焼酎造りだけでなく貯蔵にも理想的な環境なんです。
坑洞内には掘進機や滑車、人車など当時使われていた数々の機械がそのまま残されています。でも私たちが見ることのできる観光ゾーンは、坑洞のほんの入口に過ぎません。すでに水没してしまった坑洞もあるのですが、江戸時代にはここで7000名もの坑夫が働いていたというから、その規模たるや想像を絶します。
そんな坑洞で造られているのが、江戸時代まで行われていたどんぶり仕込みの焼酎。どんぶり仕込みとは、麹や酵母、さつまいも、水を同時に仕込む製法です。薩摩の歴史を象徴する場所だからこそ、昔ながらの焼酎造りの技と味を再現したい…それが金山蔵のポリシーなんです。
明治以前、焼酎は味噌や醤油と同じように各々の家庭で女性が造るものでした。だから、金山蔵では女性杜氏が焼酎を造っているんですよ。写真は蒸した米を広げて冷ましているところ。金山蔵では木のせいろで米蒸しをしているので、ふわっと木の香りがします。
金山蔵の焼酎はかめ仕込み。かめに入ったもろみを女性杜氏が櫂棒で丁寧にかき混ぜています。普通の焼酎は、一次仕込みと二次仕込みがあるけれど、どんぶり仕込みは材料を全部一緒に仕込んじゃいます。やり方は豪快でも、管理は繊細!細やかな気配りができる女性ならではの仕事です。
こうしてできたどんぶり仕込みの焼酎には、薩摩のおふくろの味とゴールドラッシュに湧いた薩摩歴史がギュッと詰まっています。薩摩の物語に思いを馳せながら、今宵は一杯、やりませんか?