「丸に十の字といえば薩摩」というイメージがありますよね。なぜって、『丸に十の字』は島津家の家紋だから。今回はシンプルゆえに覚えやすく、今でも鹿児島の象徴として広く認知されている島津家の家紋の由来をお届けします。
十字紋は薩摩のお守り。
これ、島津家の家紋に似ていますが、ご覧のとおり鹿児島市のシンボルマークなんです。島津家の家紋である「丸に十の字」と「市」の文字を図案化させたのだそうです。市のマークなので、鹿児島市内のあちこちで見つけることができます。
ほら、マンホールにも!そんなわけで、今でも『丸に十の字』は鹿児島の人々の生活に密着しているのですが、そもそもこの家紋のルーツや意味を皆さんはご存じですか?
これが薩摩島津家の定紋『轡(くつわ)十字』です。市のマークとはちょっと違うでしょ?さて、この十字紋のルーツは鎌倉時代初期の藩主・島津忠久まで遡ります。ただし、当時は外郭の丸はなく、筆書体で『十』と書く『島津十文字』という家紋でした。
それが江戸時代になり礼装用の紋に転化して、外郭を丸で囲んだ家紋ができました。当然、幕末の名君・島津斉彬公もこの家紋を使っていたんですね。実は十字紋を使っていた家は他にもあったのですが、島津家に遠慮して廃止したそうです。加賀藩に次ぐ大藩であった薩摩藩の勢力の大きさを伺えますね。
今でも鹿児島には当時の薩摩藩の大きな勢力を象徴する建物が残っているんですよ。余談はこれぐらいにして、家紋の話に戻ります。『十』の意味については諸説あるんですが、十字を切るという意味で厄災除けの護符として採用されたという説が有力といわれています。
島津家の十字紋は、『水戸黄門』でお馴染みの徳川家の家紋『三つ葉葵』と並ぶぐらい有名ですよね。しかも、今でも県民の生活に馴染んでいるってすごい!島津の分家は『丸に十の字』をアレンジした家紋を使っているので、見比べながら島津家縁の地を訪れるのも楽しいですよ。