鹿児島の女性は「薩摩おごじょ」と呼ばれ、優しくて芯の強いしっかり者が多いと言われています。NHK大河ドラマにもなった幕末の才女、天璋院篤姫のイメージはまさしくそのものでした! 島津今和泉家に生まれた利発な少女は島津斉彬の養女となり、やがて13代将軍徳川家定の正室にまで上りつめました。今回はそんな『篤姫』についてのお話です。
島津家と徳川家の狭間で葛藤した半生
繊細なカットが美しい薩摩切子。『篤姫』が江戸に向けて出発する際、島津斉彬は薩摩切子の酒器を嫁入り道具として『篤姫』に持たせました。『篤姫』の嫁入り道具には莫大な費用がかけられ、西郷隆盛がその調達役を担ったと言われています。
このアーチ型の石橋は『西田橋』。参勤交代の際、藩主が通った橋ですが『篤姫』もこの橋を渡って鹿児島城下を後にしたそうです。『西田橋』は甲突川という川にかかっていたのですが、現在は石橋記念公園に移設されています。ここは、大河ドラマ『篤姫』のロケ地にもなった場所なんですよ。
『篤姫』が嫁いですぐに夫の家定は病死しますが、その後も篤姫は大奥を取り仕切ります。実家である島津家と徳川家が敵対しても彼女は徳川の人間として生きる道を選び、江戸城の無血開城に尽力しました。幕末の動乱の時代を生きた「薩摩おごじょ」。その生き方から伝わるしとやかさと芯の強さ。『篤姫』は、今も私たち鹿児島の女性にとって憧れの人物なのです。
Information
篤姫ゆかりの地(指宿市今泉)
鹿児島県指宿市湊2-5-33
TEL:0993-22-3252(社団法人指宿市観光協会)
石橋記念公園
鹿児島県鹿児島市浜町1-3
TEL:099-248-6661