日本の最南端にある薩摩藩は、ペリーが黒船で浦賀に来航するずっと前から、諸外国の脅威に真っ先に遭遇するところでした。そこで1840年代、通商を求める欧米列強の外圧にさらされ、近代化に着手します。そして、1851年に藩主となった島津斉彬による「集成館事業」により、反射炉建設や紡績など、後の日本の急速な産業の近代化の礎となる日本の産業革命を成し遂げました。日本の近代化は、鹿児島の地で始まったのです。
日本の近代化は南から始まった。
今回、世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の中で、鹿児島にあたる構成遺産は、日本の近代化を支えた「製鉄・製鋼」と、風に頼らない船を持とうとした「造船」に関するものです。藩主の島津斉彬は、磯の薩摩藩別邸(鹿児島市吉野町)隣に工場群「集成館」を築き、製鉄、造船、ガラス、紡績など、さまざまな事業に取り組みました。製鉄や軍事力ばかりでなく、世界で認められた薩摩切子などの工芸品を生み出したことも、島津斉彬が残した大きな功績のひとつです。
石造りの建物、「尚古集成館」本館は元々19世紀中頃に建てられた機械工場で、日本にある現存最古の洋風工場建築物であり、国の重要文化財にも指定されています。現在は博物館になっており、海が運んだ鹿児島の豊かな歴史と文化、そして、島津斉彬が始めた近代化事業について分かりやすく展示されています。内装は必要以上に太い梁など、西欧人が作るはずのない構造があり、西欧の文献を元に日本の職人たちが自力で竣工したことが伺われます。ここでは西欧から取り寄せた機械を使い、金属加工や艦船、蒸気機関の修理や部品加工を行いました。
「反射炉」は燃焼室で燃料を燃やし、その熱や炎を壁に反射させて鉄を溶かすシステムです。日本では大型の鉄製砲を造るために導入されました。当時、鎖国状態だった日本はヨーロッパから必要なものを輸入することも、専門家を招くこともできず、ただオランダの書物だけを参考にして自力で造り上げました。その成功の背景には、耐火煉瓦を薩摩焼の技術で焼き上げるなど、在来技術を最大限に活用したことにあります。まさに西欧の先端知識と日本在来の技術の融合によって完成した、日本の産業革命の始まりを象徴する近代化遺産です。
写真左/日本最古の機械工場跡の石造りの建物「尚古集成館」は、現在は博物館として使用されています。薩摩が行った近代化事業の全貌を分かりやすく理解させるため、外国から輸入した機械から江戸時代の薩摩切子まで、多様な展示物が陳列されています。写真右/鉄製150ポンド砲は反射炉の石組みの手前にあります。ここは大名庭園でありながら、約150年前に日本でいち早く富国強兵を実践した近代日本発祥の地であることを改めて深く認識させられます。
写真左/NHKの大河ドラマ「篤姫」で江戸の薩摩藩邸の門として何度も登場した正門。実は明治28年に造られたもの。木材はすべて県産のクスノキで、門上部には島津家の家紋である丸十紋と桐紋が彫られています。写真右/猫神さまは、全国でも珍しい猫が祀られた神社です。約400年前、朝鮮出兵の際に連れて行った7匹の猫の内、生きて帰った2匹が祀られています。17代島津義弘は陣中で猫の瞳孔の開き具合を元に時刻を推測したと言われ「時の神様」とも呼ばれています。
「鹿児島紡績所技師館」は、通称「異人館」と呼ばれ、鹿児島紡績所での技術指導のためイギリスから招いた7人の技師の宿舎として建設されました。江戸時代に建てられた洋風建築で現存するものは極めて少なく国指定重要文化財にも指定されています。周囲4面をベランダで取り囲むことで内部の通気性を高めるコロニアル様式が採用されていました。また現在でも、江戸時代に使われていた紡績機(復元)などを間近に見ることができます。薩摩藩から始まった日本の近代化、世界遺産登録をきっかけに、国の最先端を駆けていた当時の鹿児島に旅してみませんか?
Information
尚古集成館
鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
TEL: 099−247−1511
開館時間:8:30~17:30 休館日:年中無休
入館料:大人1,000円 小・中学生500円(仙巌園と共通)
駐車場:有
旧鹿児島紡績所技師館(異人館)
鹿児島県鹿児島市吉野町9685-15
TEL: 099−247−3401
開館時間:8:30~17:30 休館日:年中無休
入館料:大人200円 小・中学生100円
駐車場:有