「麓(ふもと)」というのを耳にしたことはありますか?江戸時代の薩摩藩には、他の藩にはなかった制度があり、その中の一つが「麓」というものでした。
安土桃山時代、南九州の強豪となっていた島津氏は、九州全土に勢力を張り制圧する勢いでした。そのような中で、島津氏は他からの侵害を受けない完璧な領土を固めようと薩摩・大隅などの辺境の地の警戒に全力を注いだといわれます。このころ、薩摩では領土を複数の区画に分け、そこに地頭を配置しました。そして地方の軍備を整え、辺境には関所を設け要所には番所を置いて、他国人の侵入や領民の出入りを厳重に監視したといいます。このように地方に地頭や武士を置き地方の軍事や政治を行わせる制度を「外城(とじょう)」といいますが、これは薩摩藩独特の制度でした
また、政務・軍事にあたる武士が移住する集落を築き、これを「麓(ふもと)」と呼び、城下町的機能を有していました。これは、政治・軍事の中心地である「府本(ふもと)」の意味があるともいわれています。
串木野の町に残る歴史の足跡
実は、串木野の町にもこの「麓地区」があり、かつて外城制度があった頃の歴史が残っています。そこでは、串木野城跡の石垣などを見ることが出来ます。また、明治維新を支えた西郷隆盛や大久保利通が駆け巡った薩摩街道(江戸時代に整備された脇往還)は、伊集院、串木野、阿久根、水俣などを通り熊本市までの道のりの事で、もちろん薩摩金山蔵のある串木野金山(島津芹ヶ野鉱山)の前を通っており、串木野麓には金山開発に携わった武士も多いといわれています。
金山蔵でも薩摩の歴史を
いちき串木野市には、街のあちこちに歴史に関する案内看板が立てられています。そんな歴史を知ることが出来る看板、実は金山蔵の中にもあるんですよ。串木野金山の歴史は、鹿児島にとっても大切なものなのですね。実際にこの通洞坑口から、トロッコに乗って鉱山の中へ入っていくことが出来ますよ。
中では金山の歴史はもちろんのこと、ここならではの焼酎蔵・焼酎貯蔵庫を見学することが出来ます。是非、歴史をたっぷり感じることが出来る串木野麓、そして、薩摩金山蔵に遊びに来ませんか。